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空飛ぶ絨毯
モリスとペルシア絨毯
リルケとペルシア絨毯
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ボロネーズ絨毯
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●空飛ぶ絨毯

絨毯といえば、最初に浮かぶ言葉が「空飛ぶ絨毯」ではないかと思われるほど、子供心に焼き付けられた魔法の絨毯のエキゾティックで、幻想的な印象には強烈なものがあるようです。さて、この「空飛ぶ絨毯」、子供向けの童話としては頻繁に出版されているのですが、原典となっている『千夜一夜物語』あるいは『アラビアン・ナイト』などを調べてもなかなか見当たりません。「アフメッド王子と妖精パリ・バヌー」や「バイバルス王と警察隊長たちの物語」がその源泉で、アラビア語のいくつかの原典から訳された数ある訳本のなかで、フランスのガラン版、マルドリュス版、ドイツのハビヒト版などに掲載されているのみで、一番信頼され普及しているバートン版には「補遺」として収められていることはあっても、その邦訳はないそうです。2004年はフランスのガランがヨーロッパに初めてこのお話を紹介して300年、ユネスコが認定した「アラビアンナイト翻訳記念年」です。『千夜一夜物語』がインドやイランの説話をもとに、バグダード、カイロを経由してアラビア語で編纂されたものであるなら、インドのデーヴァ(神)やリシ(道士)たちが自由に空を飛んだことや数多くの飛天と関係しているかもしれないし、『ラーマーヤナ』の猿王ハヌマーンが中国では孫悟空に変身して絨毯ならぬ金斗雲に乗ってひとっ飛びしたことなどとも無縁ではなく、まさに空飛ぶ絨毯のお話はシルクロードを飛び回っていたようです。

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● モリスとペルシア絨毯(ペルシャ絨毯)

ロンドンのヴィクトリア&アルバート・ミュージアム(V&A)に、2枚の巨大な絨毯が所蔵されています。ひとつは、イラン北西部の都市アルダビールにあるサファヴィー朝の始祖シェイフ・サフィーの廟に奉納されていたといわれる「アルダビール絨毯」。もうひとつは、ロンドンのチェルシーにある絨毯商会を通じて輸入されたことから、「チェルシー絨毯」と呼ばれている絨毯。いずれも17世紀にイランで織られた名品です。1877年、ウィリアム・モリス(1834-96)はサウス・ケンジントン博物館(現V&A)から、これらの絨毯の購入に対して相談を受けます。もちろん、それまでにモリスはすでにペルシア絨毯の個人的なコレクターであり、絨毯に対する深い造詣もあったので、即座にその購入を勧めたということです。当時、産業革命の波が押し寄せ、大量生産による機械織り絨毯の質の低下を嘆いていた矢先の、この素晴らしい手織り絨毯との出会いは、モリスにさまざまなインスピレーションを与えました。そして、タブリーズの職人にその技術を教えてもらい、モリス自らもペルシア絨毯にならい手織り絨毯をつくっています。モリスが住んでいたロンドンのハマースミスにあるケルムスコット・ハウスのダイニングの天井から吊るされていたケルマーン産の絨毯は、「花瓶文絨毯」として知られ、今はV&Aに収められています。

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● リルケとペルシア絨毯(ペルシャ絨毯)

リルケ(1875-1926)はプラハに生まれ、ドイツを中心にヨーロッパ各地を転々とした詩人で、『マルテの手記』や『ドゥイノの悲歌』で有名です。彼の作品の一節に、絨毯をモティーフとして、彼の晩年の主題である、物への賛美、ひいては人間の美的能力への賛美を謳いあげた詩があります。

うたえ、わが心よ、おまえの知らぬ庭々を。ガラスに鋳こまれたようなに透明で、とどきえぬ園を。
イスパハン、またシラスの園の水と薔薇、
それらの幸福を歌え、ほめたたえよ、たぐいない声で。
示せ、わが心よ、それらはるかな園が、たえずおまえに応じたことを。
そこに稔るいちじくがおまえを想ってくれようことを。
その園の花咲くあわいを吹く、さながらに眼に見えるほど
高まる風と、おまえが交わっていることを。
すでに生まれたこの決意。在ろうとする決意にとって、
欠乏があろうなどとは誤ってはならぬ!
絹糸よ、おまえは存在の織目にはいったのだ。絵柄のどれに内部では織り入れられているにせよ、
(よしんばそれが苦痛の生の一瞬であろうとも)、
感じるがよい、ほむべき絨毯の全容が意図されてあることを、

――『オルフォイスへのソネット』
第2部の21(生野幸吉訳)より。


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● フロイトと絨毯

ジグムント・フロイト(1856-1939)がウィーン大学医学部に入学した年の1873年、ウィーンで博覧会が開催されました。このウィーンの万国博は、ロンドン(1851年、1862年)、パリ(1855年、1867年)に続き開催されたもので、日本も明治政府となって初めて出展し、日本庭園や茶店、鳥居、神社からなるパビリオンを出しており、ジャポニスム流行の契機となったものです。この博覧会でペルシア絨毯がはじめて公式にヨーロッパに紹介されました。ガージャール朝の時の王、ナーセロッディーン・シャー自らが博覧会に出向いてその振興に努めたということです。ペルシア絨毯はヨーロッパでは、まずウィーンから広まったといってもよいかと思います。フロイトがこの万国博会場でペルシア絨毯(ペルシャ絨毯)を見たかどうかは知りませんが、後年、フロイトは自分の診療室にペルシア絨毯を愛用していたということです。これは、患者の自我を解き放つのにペルシア絨毯(ペルシャ絨毯)に勝るものはないというフロイトの確信によるものだったということです。フロイトが用いたのは、南ペルシアの遊牧民ガシュガーイー族が織ったペルシア絨毯だったそうです。

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● 日本にもあるボロネーズ絨毯

ペルシア絨毯(ペルシャ絨毯)でありながら、ポーランド絨毯あるいはポロネーズ絨毯という奇妙な名がつけられた一群のペルシア絨毯があります。これは、いわゆる「絹と金糸の絨毯」で、この奇妙な名の由来は、1878年のパリ万博において、ポーランドのコーナーに出展されていたことに端を発します。この豪華な絨毯の持ち主は、ツァルトリスキー王子。あたかもポーランド産であるかのような扱いで出展されていたため、ポロネーズ絨毯の名がつけられました。実際、ポーランド王家の紋章が織り込まれていました。しかし、実はこれらの絨毯は、ポーランド王ジギスムント・ワーザ3世(在位1587-1632)が、1601/2年に、カーシャーンに注文して製作させたものでした。この絨毯は、やがてメトロポリタン・ミュージアムに寄贈されますが、次々と類似した絨毯があらわれます。そして、これらの絨毯がサファヴィー朝の宮廷工房でつくられたもので、おもに外国の王族や高官への贈答のために作られたものであることが判明します。後には輸出品としてもつくられており、おもにイスファハーンやカーシャーン、ジョウシャガーンなどの工房で生産されていました。このグループの絨毯は、ポロネーズ絨毯の名で通っており、現在、世界で約230枚見つかっています。日本でも、京の夏を彩る祇園祭の山鉾を飾る懸装品の中に、このポロネーズ絨毯が見つかっています。その昔、南観音山で使用されていたものですが、どのようなルートでもたらされたものかは判っていません。

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