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ペルシャ絨毯の歴史1 ペルシャ絨毯の歴史2
最古の物資資料
手織り絨毯の起源
ペルシア絨毯の開花
近代ペルシア絨毯
ペルシャ絨毯の歴史3

● 最古の物資資料・バズィクル絨毯

パズィルィク絨毯

パズィルィク絨毯(部分)

絨毯が織り始められたのは、今から約3千年前とも5千年前ともいわれています。その根拠は、高度に発達した技術で織られた約2,500年も前の絨毯が現存しているからです。1949年、ロシアの考古学者セイゲル・ルデンコは、南シベリアのアルタイ山中で、遊牧民マッサゲタイの王墓と思われるパズィルィク古墳を発掘。偶然にも氷に閉ざされていたため劣化を免れた紀元前5〜4世紀頃のものと思われる約2m四方の絨毯を発見しました。そのデザインは、中央部にロゼットを充填した格子文、5重のボーダーが取り囲み、騎馬人物像やダマジカ、空想上の動物グリュップスなどの走獣文が巡らされているというものです。その製作技術は今日のものと変わらない高度なもので、閉鎖型・左右均等結び(俗にトルコ結びと呼ばれている)が用いられていました。また、ルデンコはその数年後、パズィルィク渓谷の西約180kmのバシャダル古墳でさらに密度の高い織りをもつ絨毯の断片を発見。こちらは開放型・左右非均等結び(俗にペルシア結びと呼ばれる)で、放射性炭素年代測定法によると、パズィルィクの絨毯より、さらに130〜170年遡るものでした。これらの絨毯の存在が、絨毯の起源の古さと共に、その複雑さを私たちに提供してくれることとなりました。

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● 手織り絨毯の起源・イラン起源とトルコ起源

アケメネス朝の祭都

アケメネス朝の祭都(上)
ペルセポリスの遺跡(下)

パズィルィク絨毯は、貢物か略奪品か、それとも自分たちで織ったものか、一体誰がどこで織ったのか、いまもその論争は続いています。トルコ結びとペルシア結びは、トルコ系民族とペルシア(ペルシャ)系民族の織り方にある程度関連しているものの、必ずしもそれぞれの民族固有の織り方というわけではありません。今のところパズィルィク絨毯については、その文様構成や色調が当時のアケメネス朝ペルシアのものと類似していることから、ペルシア起源とする説、そして最近浮上している中央アジア起源説などが有力な説とされています。一方、織り方の異なる2つの絨毯の存在は、誰が絨毯を織り始めたのかという問題に混沌とした疑問を投げかけています。その後の絨毯の足跡としては、イギリスの考古学者オーレル・スタインが、楼蘭(ローラン)、吐魯番(トゥルファン)で、3〜6世紀頃の絨毯断片を発見しています。また、ドイツの東洋学者ル・コックが庫車 (クチャ)で、5〜6世紀頃の絨毯の断片を発掘しています。そして、エジプトのカイロに近いフスタートからは7〜9世紀頃のものとされる絨毯断片の数かずが出土しています。これらはいずれも乾燥地帯という特殊性の中で残されたもので、通常なら、腐食あるいは風化して跡形もなくなっているところです。

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● ホスローの春 絨毯の傍証資料

これら古い出土絨毯のほかにも絨毯の足跡はみられます。それは文学や絵画に残された資料によるものです。そのひとつにアラブの史家タバリー(839-923)が言及している7世紀クテシフォン宮殿の織物「ホスローの春」があります。タバリーの『諸預言者並びに諸王の歴史』は、天地創造に始まり、古代の歴史、サーサーン朝史、ムハンマド・正統カリフ・ウマイヤ朝・アッバース朝の歴史と915年までの出来事を記述したもので、636年、サーサーン朝ペルシアの都、バグダード東方にあったクテシフォンが陥落する際、宮殿に金・銀・貴石で飾られた巨大な織物が存在したことを記録しています。この織物が、絨毯であったのか、それとも綴れ織りか、また別の織物であったのかは分かりません。この織物は、第2代正統カリフであるウマルのもとに送られ、バラバラに分解され、兵士たちに分配されたということです。バハレスターン絨毯、ゼメスターニー絨毯(冬の絨毯)あるいはケスラー絨毯と異名をもつこの「ホスローの春」は、草花や果樹を織り出し「春」を表現したもので、冬の宮殿を飾っていたといわれています。文献資料としては、このほか、737年におけるタバリーの記述、861年のマスウードの記述、982年のペルシアの地理書などに絨毯のさまざまな記述が残っています。絵画のジャンルでいえば、古代遺跡のレリーフ、敦煌の壁画、宋や元の絵画、ペルシアやトルコのミニアチュール(写本の挿画−細密画)などが挙げられます。

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● ペルシア絨毯の開花・サファヴィー朝の絨毯

イスファハーンの風景

かつて、世界の半分とまで、讃えられた…サファヴィー朝ペルシアの古都・イスファハーンの風景

ペルシア絨毯(ペルシャ絨毯)が著しく発達するのは、アケメネス朝、サーサーン朝に続くペルシア人による大帝国が復興された16世紀のサファヴィー朝からです。その前のティムール朝(1370-1501)でもペルシア絨毯はつくられていましたが、現存する絨毯がないため、ミニアチュール(細密画)における絨毯描写からその存在を類推するしかありません。サファヴィー朝のシャー・タフマースプやシャー・アッバース1世の時代はペルシア絨毯の古典期とされており、アナトリアや部族民の絨毯とはまた異なった緻密な曲線を扱った文様のペルシア絨毯の名品がたくさん生み出されています。とくにアッバース帝の治世には、イスファハーンに都が遷されて、数多くの絨毯工房が新設され、金糸を使った絹の絨毯(ポロネーズ絨毯)など華麗な絨毯などが制作されるようになり、インドのムガル朝やトルコのオスマン朝などにも大きな影響を与えています。この当時は、イスファハーン、カーシャーン、ケルマーンのみならずヤズド、ホラーサーン(ヘラート)などがペルシア絨毯(ペルシャ絨毯)の大きな産地としてあげられています。また今日の絨毯デザインのほとんどが、この時代のデザインから派生したものといわれています。

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● 近代のペルシア絨毯(ペルシャ絨毯)・絨毯産業の復興

タブリーズの絨毯バザール

タブリーズの絨毯バザール

タブリーズの絨毯工房

タブリーズの絨毯工房

18世紀、サファヴィー朝はアフガーン人の侵略に遭って滅びるとともに、絨毯の生産もごく一部を除き途絶えてしまいました。その後19世紀後半になって再び絨毯づくりが復興されるまで、約1世紀以上の長いブランクがありました。この絨毯復興はタブリーズの商人を中心として欧州市場に向けてなされたもので、タブリーズやケルマーンで数多くの絨毯がつくられるようになりました。また、ズィーグラー商会に代表されるように、ヨーロッパの会社が現地に絨毯工場を設立し、欧州市場のための絨毯製作を始めたことも絨毯産業の活性化につながりました。第1次世界大戦で市場がヨーロッパからアメリカに移行したりしましたが、ガージャール朝の19世紀後半から20世紀のパフラヴィー朝にかけて絨毯振興の政策は引き継がれ、世界のペルシア絨毯(ペルシャ絨毯)の名を不動のものとしました。1979年、イランはイスラーム革命により王制に終止符を打ちます。革命後はペルシア絨毯の流出を規制したため、一時期輸出は落ち込みますが、1984年外貨獲得の手段として再び振興策を取り、アメリカの経済封鎖はあるもののペルシア絨毯(ペルシャ絨毯)は国の重要な輸出品目となっています。

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