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ペルシャ絨毯の産地1 ペルシャ絨毯の産地2
Isfahan イスファハーン
Kashan カーシャーン
QOM クム
Nain ナイン
Tabriz タブリーズ
Kerman ケルマーン
ペルシャ絨毯の産地3

ペルシア絨毯(ペルシャ絨毯)の主要産地(産地の概略)

昔からイランにおける絨毯の生産はほぼ国土全域にわたって行われており、ペルシア絨毯(ペルシャ絨毯)の専門書でも見れば、50以上の産地名をいとも簡単に拾い出すことが可能です。産地によってさまざまな特長、特質があり、ある程度の品質も想像できるため、産地名は、絨毯取引のバロメーターとしての役割も果たしてきました。ペルシア絨毯の取引名としては、この都市名や町村名、また地域名などで呼ぶ産地の名称、そして集積地・取引地の名称、民族・部族の名称、織られた工房の名称などがあります。ここでは、国内外で高く評価されてきたペルシア絨毯の主要産地の概略を記しておきます。


● Isfahan イスファハーン

イスファハーンイメージ

イマームモスク街の中心・イマーム広場    

イラン中央部、ザーグロス山脈の東麓に位置するイスファハーン(エスファハーン)は、その歴史を紀元前にさかのぼることができる古い伝統をもつ都市です。11世紀には、大セルジューク朝の都にもなりました。イスファハーンで絨毯がさかんに織られるようになったのは、サファヴィー朝の第5代シャー・アッバース1世が1598年、都をこの地に遷してからのことです。新しい都の施設や邸宅の建設に伴い、絨毯の需要も高まり、絨毯づくりを推進管理する宮廷工房が設立されました。時まさにペルシア・ルネッサンスと呼ばれる美術工芸の黄金期を迎え、これらの工房では、数多くの高品質の絨毯がつくられていました。イスファハーンの工房でつくられた「絹と金糸の絨毯」は、おもに外国の王族や高官への贈り物にされたといわれています。1722年、アフガーン人の侵略で、街は壊滅状態となり、サファヴィー王朝の終焉と絨毯製作の停滞をもたらします。その後1925年に始まるパフラヴィー朝で、都市の復興が開始されるまで、約2世紀にわたりイスファハーンは忘れ去られた存在でした。市街の回復と共に、絨毯産業も息を吹き返し、やがて芸術の街にふさわしい美しい近代ペルシア絨毯の製作が始まります。良質のイスファハーン絨毯は、たて糸に絹糸を用い、パイル糸にコルク・ウールを使用したものが多く見られます。復興期から今日にかけ、セイラフィヤーン、ダルダシュティー、ハギーギー、シャハーブプール、ダーヴァリーなどの工房が活躍しています。

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● Kashan カーシャーン

カーシャーンイメージ

フィーンの庭園    カシャーンの風景      

テヘランとイスファハーンのほぼ中間に位置するカーシャーンは、水が少なく厳しい乾燥気候のため、農耕牧畜には適さず、工芸分野が大いに発達しました。町の歴史はサーサーン朝に さかのぼり、13世紀にはペルシアを代表する素晴らしい陶器や彩釉タイルが生み出されています。13世紀セルジューク朝からサファヴィー朝の18世紀まで、陶器、タイル、絹織物、絨毯など、カーシャーンの工芸技術は常にペルシアの最先端を誇っていました。サファヴィー朝のシャー・アッバース1世は都をイスファハーンに置きますが、カーシャーンの地をこよなく愛し、フィーンの庭園を建設しました。また王宮の絨毯工房が設置され、数多くの名品絨毯が作られています。18世紀のアフガンの侵入により、カーシャーンでも絨毯づくりは壊滅的打撃を被り、再び絨毯づくりが行われるようになるのは、ガジャール朝の19世紀末のことです。それはマンチェスター・カーシャーンと呼ばれるオーストラリア産のメリノ種のウールをマンチェスターで加工したものを用いた絨毯づくりで、これが1930-40年代まで続きます。また絹織物の古い伝統をもつため、19世紀末から20世紀の初めにかけてシルクの絨毯も数多く作られています。この後パハラヴィー朝の絨毯振興政策であるパハラヴィー・ブームに乗り遅れた感のあるカーシャーンですが、従来の伝統柄を踏襲した絨毯づくりが今も続けられています。

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● QOM クム

クムイメージ

クムの染工場と絨毯の仕上げ風景   クムの絨毯工房 

その昔、ゾロアスター教の聖地であったクム(正確な現地発音はゴム)は、イスラーム勢力が蔓延した9世紀、十二イマーム派第8代イマーム・レザーの妹ファーテメが祀られることによってシーア派モスリムの重要な聖地となりました。この街で絨毯づくりが始まったのは、1920-30年代のことです。当初はカーシャーンの技術に習い、ウールの絨毯が織られましたが、1960年代に入り、部分的に絹を使った絨毯が現れ、やがてオール・シルクの製品がつくられるようになって、クムの人気はヨーロッパでも急上昇しました。新興の産地であるため、伝統柄というものがなく、イラン各地のデザインを取り入れたり、コーカサスのデザインを借用したり、変化に富んでいます。工房の活動も活発で、斬新なデザイン開発が意欲的に行われてきました。初期からの工房としては、ラシュッチーザーデ、アルサラーニー、ラジャビヤーンなどがカーシャーンからの技術を持ち込んで絨毯づくりを始めています。また、今日もジャムシーディー、マアスーミー、モハンマディー、ファッターヒー、バフラーミーなど枚挙にいとまがないほどの新進の工房が活躍しています。クムのコピー産地としては、ザンジャーンやマラーゲなどがあり、イランにおける絹絨毯の裾野を広げています。

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● Nain ナイン

ナインイメージ

絨毯のデザインを描くデザイナー  ナインの絨毯工房 

ナイン(正確にはナーイーン)は、イスファハーンの東北東約150kmに位置する小さなオアシスの町です。昔は上質なウールの布の産地として有名でしたが、機械織り製品の氾濫のあおりでそのテキスタイル産業が衰退し、絨毯づくりへと方向転換をはかったのが1920-30年代のことです。当初はイスファハーンの絨毯づくりをコピーする形で始まった絨毯産業でしたが、やがて、安定した品質が西欧で高い評価を受けるようになって、ナインは世界的に知られる絨毯産地となりました。とくにハビービヤーン工房は、1920年代から絨毯づくりをスタートさせ、ユニークなデザイン開発で注目を浴びて、ナイン絨毯の存在をヨーロッパに知らしめました。濃淡のブルー、ベージュ、レンガ色を主色とする色づかい、白い絹でモチーフの輪郭をとって文様を浮かびあがらせる手法などが その特徴となっています。デザインはイスファハーン絨毯によく似ており、その独特の色づかいからナイン絨毯を識別するのは容易です。また、一般的なナイン絨毯は、綿の織り組織をもちますが、良質のものは、イスファハーン同様、たて糸に絹糸を使用することが多いようです。ナイン絨毯の落ち着いた色調は、日本人の色彩感覚にもそれほど違和感がなく、日本でも人気のある産地のひとつです。ナイン絨毯を真似たコビー商品が砂漠を隔てた都市タバスなどでも織られています。

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● Tabriz タブリーズ

タブリーズイメージ

タブリーズの絨毯バザール  タブリーズの市内風景

タブリーズは、イラン北西部、コーカサス(カフカス)山系の南、標高1,360mの高原にあります。古くからシルクロード交通の要所にあたり、その歴史はサーサーン朝時代にはじまり、3世紀にはアゼルバイジャン、14世紀にはイル・ハーン国の首都ともなりました。また、サファヴィー朝の最初の都として、オスマン・トルコとの攻防でガズヴィーンに都を遷すまでの1502年から1548年のあいだ、大いに発達しました。第2代シャー・タフマースプの時代は、とくに絨毯づくりが盛んに行われた時で、タブリーズ周辺ではサファヴィー朝初期の名品が数多くつくられています。19世紀後半にはイランの商業の中心地として、タブリーズ商人の絨毯産業復興における活躍ぶりは目をみはるものがありました。彼らはタブリーズ周辺の町や村だけでなく、ケルマーンやマシュハドなどにもその拠点をつくり、その供給に努めました。常にヨーロッパの市場を見据えたその絨毯づくりは、幅広いデザインの開発にもつながりました。今ではピクトリアル(絵画調)絨毯はタブリーズの得意とするジャンルのひとつになっています。タブリーズにおける絨毯づくりの特徴は、ほかの産地と異なり、織り手が男性であることで、工場に織り機を設置して絨毯づくりが行われています。このため、品質管理が行き届き、安定した品質の絨毯づくりが行われています。

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● Kerman ケルマーン

ケルマーンイメージ

ケルマーン郊外        バザール  

ケルマーンは、イラン南東部、ルート砂漠に隣接する高原都市で、作物の望めない不毛の地であるため、古くから織物や刺繍などの工芸が発達してきました。絨毯づくりの歴史も古く、16世紀サファヴィー朝当時、すでに王宮の絨毯工房がこの地にもあったとされています。18世紀のアフガン侵入後、絨毯づくりの伝統が細々とはいえ途絶えなかったのもケルマーンでした。 ケルマーンは古くからのショールの産地で、カシミールと並び、18-19世紀にかけてヨーロッパで大人気となり、さまざまな装飾を施したボテ文はペイズリーの名でもてはやされました。このショール産業が衰退するのと、タブリーズ商人の活躍による絨毯産業の復興とその需要の急増が、期を一にして19世紀末のことです。ケルマーンではショール職人が絨毯職人へと大 量転職し、ショールづくりで培った緻密なデザイン感覚と繊細な織り技術がそのまま絨毯づくりに導入されました。当時ケルマーンでは、その緻密な織り技術を駆使して、実にさまざまな絨毯が意欲的に製作されており、20世紀前半は英米の絨毯会社がケルマーンにオフィスを持つなど、絨毯産業は活況を呈しました。今日、ケルマーンでは緻密な花文様絨毯を中心に華やかな色調の絨毯が数多くつくられています。

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