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アフガニスタンの点描1 アフガニスタンの点描2 アフガニスタンの点描3
Kubul カブール
Kandahar カンダハール
Herat ヘラート
Bamiyan バーミヤーン
Jam ジャームのミナレット
Ghazni カズニー
アフガニスタンの点描4

● Kubul カブール

Kubumap

現在の首都カーブルは、標高約1800m、ヒンドゥークシュ山脈の南麓に端を発するカーブル川沿いの丘陵に位置します。カーブルからジャラーラーバードを経て、ハイバル峠を越えるとパキスタンのペシャーワルに至ります。この都市は、アレキサンドロス大王以来、中央アジア、ペルシアからインドへの進入路となっています。ムガル帝国の創始者バーブルは、サマルカンドを出たあとこの都市を首都に定めてインドへと進攻しました。その後ムガル朝とサファヴィー朝の争奪が繰り返され、1738年にはアフシャール朝のナーディル・シャーによって征服されます。そして、サドザイ朝アフマド・シャーの後継者ティムール・シャーが1776年にカンダハールからカーブルへ首都を遷すことにより、カーブルはアフガニスタンの政治の中心地として重要度が高まるようになりました。ここにはバーブルの墓があり、イギリスのシルクロード探検家オーレル=スタインの墓もあります。

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● Kandahar カンダハール

Kandahar map

紀元前330年、アレクサンドロス大王はアレイア(ヘラート)、フラダ(ファラー)を経て、アラコシアに入ります。この地域の中心都市がアレクサンドロポリスすなわちアラコシアのアレクサンドリア、古カンダハールでした。前305年にはアレクサンドロス大王の領土を引き継いだセレウコス朝のセレウコス1世からアラコシアはマウリア朝インドのチャンドラ・グプタに割譲されます。そしてその孫アショーカ王は、この地にギリシア語とペルシアの公用語であったアラム語の法勅碑文を刻ませています。カンダハールの名は、アレクサンドロスの訛音イスカンダルに由来するという説や、ガンダーラと結びつける説などがあります。最近では、2001年のユネスコ「フェデリコ・フェリーニ」メダルを受賞したイランのモフセン・マフマルバーフ監督の映画『カンダハール』で広く知られるようになりました。

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● Herat ヘラート

Herat map

アフガニスタンの西部、ハリ・ルード(川)の流域にあるヘラートは、アフガニスタンの古都であり、アジアのフィレンツェとも呼ばれていました。ペルセポリスのダレイオス1世の碑文にあらわれるハライワがヘラートの最古の記録です。アレキサンドロス大王は、紀元前330年、この町を占領し、アレクサンドリア・アレイアを建設、ヨーロッパでは、アレイア、アーリアと表記されていました。サーサーン朝ペルシアのシャープール1世のナグシェ・ロスタムの碑文のなかにもハレーウの名で記録がのこされています。アッバース朝(750-1258)では、地中海とインド、中国を結ぶ交易の中継地として、また織物、文化の町として知られるようになります。12世紀ゴール朝で繁栄しますが、13世紀モンゴルによって徹底的に破壊しつくされます。その後ティムールの子シャー・ルフ(1409-47)の妻ガーハル・シャードがパトロンとなり、町が整備され、さまざまな芸術が花開きます。「ヘラート派」と呼ばれるミニアチュールもそのひとつでした。16世紀ウズベク人とペルシアの攻防がありつつもサファヴィー朝の支配下で文化は発達します。16-17世紀のペルシア絨毯にヘラート産のものが数多く残っています。18世紀に入るとアフガーン人のアブダーリー族が奪取します。その後ナーディル・シャーによる一時期の統治を除けば、この町はアフガーン人の手に委ねられることとなります。

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● Bamiyan バーミヤーン

Bamiyan map

バーミヤーンは、カーブルから230km、ヒンドゥークシュ山中、海抜2500mの高地にある盆地に開けた町で、カーブルからヘラートへ向かう古代交通の要所にあたります。唐の玄奘三蔵は629年に、朝鮮出身の入竺僧慧超は722年にこの地を訪れて、それぞれ詳細な記録を残しています。バーミヤーンの石窟寺院は5世紀から8世紀にかけて造営された仏教遺跡で、その仏像や壁画は初期の仏教美術の源流を知るうえでの貴重な遺跡とされています。世界最大級といわれる大石窟の西端には高さ55mの大仏、東側には37mの大仏があります。すでに顔は削り取られていましたが、2001年ターリバーンによって破壊されます。この大石窟の前にはシャリゴルゴラの丘があり、13世紀の初めチンギス・ハーンが攻めてきた時人々はここにたてこもりますが、ハーンの孫モアトガンの戦死に怒り狂ったモンゴル軍によって皆殺しに遭うという話は有名で、いまも啜り泣きの声が聞こえるという幽鬼漂うスポットです。

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● Jam ジャームのミナレット

Jam map

アフガニスタン中部、首都カーブルから西へおよそ500km、西の古都ヘラートからはハリ・ルードをさかのぼること300km、隔絶した山中に壮大なミナレット(尖塔) がそびえ立ちます。1179年にゴール朝のアラー・ウッディーンによって築かれたという尖塔で、中世イスラーム建築の貴重な構造物です。直径14.34mある八角形の基壇の上に、まず36.6mの焼き入れレンガでできた第1層の八角形の塔身があります。塔身は先細りで、その高さは65mに達し、焼き入れレンガによる美しい幾何学文様や文字の装飾が施されています。内部は空洞で螺旋階段が設けられています。ジャームのミナレットは、2002年、アフガニスタンの文化復興の象徴として、世界遺産に登録されました。この戦乱の地にあり、険峻な自然に守られて、800年以上の歳月を破壊されずに屹立しつづけているメモリアル・シンボルともいえる存在です。

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● Ghazni カズニー

Ghazni map

カーブルから南へ155kmの幹線道路沿いにガズニーがあります。ここは10-11世紀に栄えたガズナ朝の首都でした。サーマーン朝のトルコ系親衛隊員であったアルプティギーンは、アブド・アルマリク王の死後、独立してガズナ朝を建国。その後、親衛隊長であったセブクティギーンが王位を継承し、その子マフムードの時代に、西はホラーサーン、ニーシャープール、スィースターン、北はソグディアーナ、東はインドと版図を大きく広げ最盛期を迎えました。その都ガズニーには、『インド誌』を著した高名な学者ビールーニーや『シャー・ナーメ(王書)』の詩人フェルドゥースィーや宮廷詩人ウンスリなどが集い、高い文化が花開いたということです。ガズニーは1151年ゴール朝に徹底的に破壊され、1186年に滅びます。ガズナ朝時代の遺構としては、王宮址や巨大なミナレット(尖塔)が残されています。ガズニーのミナレットは、マスウード3世の建立のものとバハラーム・シャー建立のものが残っており、ジャームのミナレットの原型になったともいわれています。

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