● 先史からの属領時代
アアフガニスタンには古く先史時代からの遺跡があり、イラン高原やメソポタミア諸文化、インダス文明とのつながりをしるしており、紀元前1500年〜1000年にアーリア人がこの地に南下しています。紀元前6世紀アケメネス朝のダレイオス1世の支配下にあったこの地は、紀元前330〜327年アレクサンドロス大王の東方遠征の転戦拠点となりました。その後チャンドラ・グプタ率いるインドのマウリア朝にカンダハール地域が割譲され、アショーカ王の頃、アフガニスタンに仏教がもたらされました。カニシュカ王で知られるサカと大月氏のクシャーン朝(BC.c135-AD4C)、サーサーン朝の属領、8-9世紀アラブ支配を経て、サーマーン朝、ガズナ朝、ゴール朝の興亡、モンゴルの襲来、14世紀ティムール朝への併合と続きます。ティムールの没後第四子シャー・ルフがヘラートを首府にして王位につき、トルコ・イスラームの文化を開花させました。16世紀初頭ウズベク人が台頭しますが、東にムガル朝インド、西にサファヴィー朝ペルシアが勢力を競い合っていました。そして18世紀に入りアフガニスタンの部族が歴史の表舞台に現れるようになります。
上へ戻る● アフガニスタンの独立
709年、ギルザイ族のミール・ワイスがカンダハールで挙兵、ファラーまで領土を拡大して、カンダハール王国を築いたのがアフガーン人の独立の端緒でした。その後継者である野心家のマフムードはエスファハーンを占領し、衰退したサファヴィー朝の王位についてしまいました。しかし、その後すぐアフシャール朝を興すナーディル・シャーが覆し、一気にカーブルからデリーまで攻め落としてしまいます。1747年、ナーディル・シャーが暗殺されるや、アブダーリー族(後のドゥッラーニー族)のアフマド・ハーンがカンダハールで即位し、アフマド・シャー・バーバーイェ・ドゥッラーニーと名乗り、サドザイ朝を築いたのがアフガーン人による初めての氏族連合国家の形成となります。この時アフマド・シャーは23歳、即位の儀式は質素なもので、麦の穂でつくった花冠を頭上に載せただけといわれます。この麦の穂が国旗の意匠となっています。ドゥッラーニーとは天から授かる露の結晶「真珠」を意味し、彼が「真珠の中の真珠」(ドゥッリ・ドゥッラーン)と称えられたことに由来します。アブダーリー族の男たちは右耳に小さな真珠をつけていたといわれています。
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